癒えない傷。

ケイコたちはザグレブ経由でハンガリーを目指そうとしていたけど、私の予定に合わせ、一緒にサラエヴォ経由でハンガリーを目指すことにした。ヤングマンは次はイタリアに向かうのでドブロヴニクでお別れ。ヤングマンとはイランでも会った事があったぐらいだし、名残惜しい。帰国を間近にするユッコとマサトとはハンガリーのブダペストまで一緒に行く予定だ。

サラエヴォの地理は難しい。
ちょうど日曜日であり、歩き方に載ってた「トラムの○番(番号は失念)に乗れば町を軽く一周できて良い。」そのトラムは休業だと言う。仕方ないので町の人に聞きながら、ようやく旧市街(一番の見所)に辿り着いた。帰り方もまた難しいのだけど、運良くダイレクトで駅近くに行くバスに乗り込めたので良かった。
不思議というか、仕方ないことなのだけど、駅付近と旧市街では人種地区が異なる。駅はボスニア人地区なのに対し、旧市街はイスラム人地区となる。まだ10年という記憶に新しい戦争の古傷を残し、お互いの感情も決して癒えることない。駅で旧市街の行き方を聞いてもまともに答えてくれる人がいないのだ。トラムやバスもダイレクトで行くものはごく限られる。私達は行きのバスの中で、たまたま居合わせたムスリム女性が親切に案内してくれたので助かったけど。ひとつの国で完全に移住地区を分けるのは何とも悲しい。

旧市街は一見、普通だけどビルのあちこちに弾劾の跡が痛々しく残っている。私らは空しくもそれを写真に収めるのだけど、何か腑に落ちない。
イスラム地区だけあって、久しぶりにアジアの空気を味わった。トルコ風のバティックを売る店、アジア風の木造りの家、和式のトイレ・・・。ただ空気は冷たく、悲しみを今でも引きずった人々が緩慢に行き来してる。何とも形容し難いけど。

みんなの荷物をキープしている時のこと。何人目かの物乞いがやってきた。おばあさんで脇には赤ちゃんを抱えている。断っても離れてくれず、ますます私に近づいて来る。ふと怪しいなと思い、下を見ると財布が3cmほど出ている所だった。危なかった。あばあさんだったため動きが緩慢ですぐに気づけたけど。油断は禁物だ。

サラエヴォは最初は一人で行く予定だったけど、みんなで行けて本当に良かったと思う。一人じゃ凹む一方だし、つらい。ケイコは人一倍感じやすい子なので大変だったようだ。ここは一人で来る場所じゃない。
結局私達は「戦争を知らない子供たち」であり、イメージでしか考えられない。今回は10年前という、まだ記憶に新しく、悲しみから癒えてない場所を訪れた。それで何かが分かる訳ではないけど、住民の生きる気力さえない無表情を見ていると戦争は全てを駄目にすると実感せざる得ない。世界中を平和に・・・と言うことは簡単だけど、実際に犠牲者になったらそう簡単には口に出せないんだろうなと思う。

帰りは4人でコンパーメントを占領し、雑魚寝で寝た。出発直後には戦争で亡くなった人々のぎっしり詰まった墓を車窓から見た。ショッキングな光景だったけど、みんなで一緒にくっついて寝たので、みんなそれぞれ安眠できた。


■info
・前述したけど日曜日はオススメできない。近くの両替屋もスーパーも休み。

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by MAYUPURA | 2006-06-11 23:02 | ヨーロッパ

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